「サマリヤの女」

の話



 今から2000年ほど昔の話。

 ある日のこと、イエス・キリストはサマリヤという地方に出かけた。弟子たちも同行していたが、買い出しに出かけていたためこの時同席はしていなかった。
 正午頃の、あまりの暑さに誰も彼もが活動を停止させているとき、井戸端で腰掛けていたイエスの側にひとりの女が通りがかった。 実は彼女、過去に傷を持つ身のため、人通りの多い朝の涼しい時間に水を汲むことが出来ず、やむを得ず暑い盛りの真っ昼間に井戸に水を汲みに来たのであった。

 その時、イエスは彼女に話しかけられた。
 当時、イエスの属するユダヤ人とサマリヤ人とは仲が悪く、当然話しかけられないと思っていた女は驚いた。そしてそればかりでなく、イエスは彼女が本当に欲していたモノを見抜いたのである。
 水汲みに来ていたのだから水が欲しいに決まっていると思いきやそうではなく、その飲んで腹の中で無くなってしまう水の話でなく、「生ける水」の話をし出したのである。
「わたしが与える水を飲むものは誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)

 彼女の過去の傷を言われなくても示唆したイエスは、彼女の心の飢え渇きを見抜かれたのであった。そしてイエス・キリストこそがその心の飢え渇きを満たす事が出来る唯一の人であると教えたのである。


ホレイス・ピピン 1940