「小さいけれども壮大な恋」

の話

 このミレーの有名な作品は、旧約聖書の中の「ルツ記」という、外国人であり女性であるルツを主人公とした物語の、その中の1場面を表現したものだと言われている。

 今からおよそ3000年ほど昔、エルサレムにほど近い田舎町ベツレヘムに住んでいたある夫婦が二人の息子を連れ、飢饉をやり過ごすために異邦人(違う宗教を持つ人達)の住む地へ避難をしていたのだが、 その地で夫は亡くなってしまったのであった。その後、二人の息子たちは各々その土地の女と結婚して10年過ごすのだが、なんと、その二人の息子たちまでがそこで亡くなってしまったのである。 そして飢饉が去ったとの知らせを聞き、嫁姑の女3人は故郷であるベツレヘムへ帰ることになったのである。
 姑であるナオミは、今さら息子が生まれるわけでもなく、つらい思いをさせるだけなので、二人の嫁には自分自身の郷へ帰るように促したのであった。 しかし二人の嫁のうち、ルツだけが「あなたの民族は私の民族でもあり、あなたの信じる神は私の神であり、あなたの住むところで私も住み、あなたの死ぬところで私も死にたい」 と聞き入れず、ナオミとともに生活することを強く望んだのである。

 さて故郷へ帰って来たナオミたちは、亡くなった夫の親戚であり、土地の有力者でもあったボアズの畑で大麦の落ち穂を拾っていた。 当時のイスラエルでは、未亡人や外国人など立場の弱い者には、刈り入れの終わった後の畑で落ち穂を拾っても良いという法律(律法)があったのである。 そこで朝から晩まで休みもせず熱心に拾っていたルツを、ボアズは気に留めるようになり、彼女の身の危険を守ったり、飲食を提供したり、わざと多く拾い集められるようにしたりと、便宜を図ったのであった。

 さてこのルツの話はこの後も色々あるのだが、旧約聖書の中で珍しく外国人であり女性であるルツを主人公とした恋物語「ルツ記」のおしまいは、家系で終わっている。
 もちろん色々あって二人は結ばれるのだが、このルツから生まれた子供のその子供、つまり孫の1人はイスラエルを強くした王であるダビデ王であり、そしてその系図をたどっていくと、1000年後にはメシヤ(救世主)であるイエス・キリストにまでたどり着くのであった。

「落ち穂拾い」ジャン・フランソワ・ミレー(1857)