「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
―わたくしめが教会に行っているわけ―
私は生まれたときから両親に連れられて、教会へ行っておりました。 しかしほんとうに神の存在に気付いたのは、大学の2年生の時でした。小学生の頃、なぜか集中砲火的にいじめられ、こんな事ならいっそ死んでしまいたい と思ったこともありました。それでも死なずに済んだのは、こんなところで終わったら このあと来るであろう大人としての人生を、一切楽しむ事ができないのはもったいない、 という後の事に望みを託していたことと、天と地とすべての物を造り上げた神の存在を なんとなく気付いていたからかもしれません。
そのように確信していたわけではなかったのですが、もし本物の神がいるならば、 それは万物を超越した存在であり、目に見える存在でなく、そして何処にでもいる存在である、 と思っていました。
大学に入学し、親元を離れて一人暮らしをはじめ、よくありがちな酒やサークル活動、 恋愛事などで騒いだり遊んでいる生活を送っていました。しかしどのような享楽に興じていても、 それは確かにその時は大変楽しいのですが、生活全般における「確かな絆」とも言える物がなく、 その楽しい一時が終われば元の生活に戻るだけ。新たな楽しみを見つけるために彷徨わなくてはならない。 そんな生活が良いわけないと思っても、続けていました。
大学1年の春休みに鉄工所でバイトしていた時のこと、ある日の昼休みに 近くの土手の河原に何となく寝ころんでいたのですが、早春の土手に芽吹きはじめている草花を見、動き出した鳥のさえずりを聞いたとき、 それらがあまりにも完璧に造られ、偶然や進化論的な努力で存在するには素晴らしすぎて、これは誰かの手によって成した物に違いなく、これこそ本当に神が存在することの証明に相違ないと思わされました。 そして、神が私を形造ったのも、草花や鳥などを形造ったのも、すべて神が私を愛しているが故であり、それを知らせるためであるということに気付かされました。その時に聖書がわたくしめに語りかけてくれた言葉が以下の通りです。
それはどのような悪いことをしたとしても、その渦中であったとしても、神は私を愛していてくれて、「良い者にも悪い者にも同じように雨を降らせる」神が、 私自信がもし罪を悔い改め、もう一度神の下に帰るように決心したのならば、いつでも神の家族として仲間に入れられ、どんなつらい時でも見守っていてくれる、 そして目が見たことの無いもの、耳が聞いたことのないもの、心に思い浮かんだことのないような素晴らしい物をこんなわたくしめにも用意していて下さることを確信したのでした。そして今、教会に行き、神の家族として教会の一員として神さまを礼拝したいと思い、教会へ通っています。
教会とは。。。 |
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教会は良い人の集まる場所というよりも、神さまによって自分の「罪」に気付かされ、自分の「罪」を悔い改めて新しく生まれ変わりたいという人が
集まる場所です。 およそ2000年前、イエス・キリストが生まれました。これが有名なクリスマスです。 キリストはあらゆる人の中にいる罪を取り除くため、アダムとエバとを造り、この世の中の動植物などすべてを造った神によって、マリヤを通して生まれてきました。 当然神によって生まれたのですから取り去るべき罪など有りませんでした。 そのように神によって生まれた人ですから、天使のようなきらびやかな生活をしても良かったはずなのですが、 普通の一般人のように飢えや乾きも体験しましたし、苦しみや悩みも体験しました。 そして最後に、自分は何も罰せられることをしていないのに、死刑を宣告されました。十字架に張り付けにされたのです。 それは神によって生まれたキリストが、普通の人間(現代に生きる私たちももちろん)みんなが、生まれながらに持っている罪を 取り除くために、普通の人の状態で死ぬことが必要だからでした。つまり、人間皆が持つ罪のための「生け贄」として 十字架にかかったのです。 そして普通の人間のように死んで墓にも葬られましたが、3日の後に生き返りました。 罪の象徴である「死」から解放されたことを現すためでした。これが有名なイースターです。その後天に昇り 私たちを見守っています。
神は皆さんが「罪」(したくないのにしてしまうこと)に縛られて生きるのではなく、キリストにあって新しく生まれ変わって、
本当の自由を得て欲しいと思っています。 |