「その時目が開かれた」

の話



 十字架上でイエス・キリストが息絶えたとき、弟子たちは意気消沈した。強国ローマに支配されていたイスラエルの主権回復には、かつてのダビデ王のようにイエス・キリストが王になるしかいないと思っていたからである。 (当時の弟子たちのイエスに対する認識は、その程度のモノであったと思われる。)それで使徒(11人)やイエスに付き従っていた女たち、一部の者を残し、弟子たちは四散した。

 2人の弟子がエマオというエルサレム近郊の田舎町へ行く道すがら、イエスの十字架上の受難から、3日目に復活したとされて遺体が無くなったことなどを論じあっていた。そこへひょいっと、復活したイエス自身が近づいてきて、2人の会話に首を突っ込んだ。 しかし2人はイエスだとは全く分からず、会話の内容をイエス自身に説明した。するとイエスは、
「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。」と言って、イエスが十字架に架かり、死んでからよみがえられると、イエス自身について預言された聖書(旧約聖書)の箇所を一つずつ引用しながら、2人に説き明かしていった。
 2人の弟子たちが泊まる予定にしていたエマオの町に着いたが、イエス・キリストはさらに先に進みそうな様子を見て、ぜひ一緒に食事を、と2人は無理に誘った。そして食卓でイエスがパンを手に取り、祝福の祈りを捧げると、急に2人の目が晴れ、その人物こそ復活したイエス・キリストだと気がついたのである。 しかしその瞬間に2人にはイエスが見えなくなった。
「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心は内に燃えていたではないか!」と2人の弟子は話し合い、すぐさまエルサレムにとって返し、仲間の弟子たちに事の次第を報告したのであった。

「エマオのキリスト」レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン 1648