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おすすめ、キリスト教書籍

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"放蕩息子の帰郷"


父の家に立ち返る物語
ヘンリ・ナウエン
片岡伸光:訳
あめんどう2003年5月
 原著者のヘンリ・ナウエンの言葉が一々重たいのに、輪を掛けて訳者の言葉が更に重たいため、読み終わるのに2年近くかかってしまった。
 かといって、言っている事自体はそれほど難しい事は語っていない。クリスチャンなら誰でも知っている「放蕩息子のたとえ話」を、レンブラントの有名な絵を通して著者流に読み解いているだけなんだけれど、 言葉のひとつひとつが重たい(意味のある言葉)であるため、本当に色々な事を考えさせて頂きました。
 カトリックの司教であり、グループホームの管理者である(心理学者なのかしら?)著者の実体験とオーバーラップさせたところもあり、しかしこの放蕩息子のたとえ話は、本当はこんな読み方が出来るはず、 という持って行き方もありで、本当に、いろいろ考えさせられました。
頭が下がりました、の一冊。

"子供の信仰と教会"

J・H・ウェスターホフ
奥田和弘,山内一郎,湯木洋一訳
新教出版社1981年1月
 「教会学校」という、学校スタイルでの教会教育法が持つ問題点を、まずなぜ人は信じるのか、どのような葛藤を経て神と向き合う事が出来るのか、と言う点から解説を始めて、
古来「日曜学校」時代の教会教育とは、証・体験などを伝授するものであり、学校のスタイル、特に「文字を書く事・文字によって伝える事」に固執した教会学校スタイルの弊害を鑑み、 その解決に至るひとつのテストケースも提示してあって、教会教育と真剣に向き合いたい人にお勧めしたい1冊。
 幼児洗礼の話など、教会によっては受け入れられないところもあるかもしれないけれど、献身礼の話などは洗礼の話に置き換えればいい事だし(洗礼はもし本人の確信がしっかりしているのなら、小さければ小さい頃ほど良いと思う)、 20年以上前の、それも米国の話だけれど、十分応用できると思う。

"ロープ
”隔て”から”絆”へ"

中島律子いのちのことば社2003年10月
マナブックス
 一時期は「AON」の一角とされ、日本のプロゴルフを名実共に引っ張っていく存在であった中嶋常幸、その中嶋を陰で支えていた妻が書いた、中島常幸のプロゴルファーとしてだけでなく、一人の人間として生きて行く様子を描いた本。
 あの「AON」の一角とされていたときは確かに強かったけど、自分に自信があったわけでなく、精神的弱さを力でねじ伏せていたような感じであった。だがその精神的支えを失ったとき、本当に強い物、「神」の存在を見つけた、と言うことを妻の視点で描いている。

"世の終わりが来る
「ヨハネの黙示録」の私訳と講解"

奥山実マルコーシュ・パブリケーション2002年7月
 わたくしめのような「奥山チルドレン」には目新しいことはないけれど、物理学・哲学の随を知った著者があの難解な黙示録をわかりやすく、色々脱線しながら話した物をまとめた1冊。 引用聖書は本文にも書かれているけれど、現在雑誌「ハーザー」を中心に行われている「現改訳」(つまり奥山先生の私訳)が使われている。
一つだけ訂正すると、福音自由教会で牧師をしているときに「1回の礼拝で1節づつルカ伝のメッセージをしていた」というのは当たりのようで実は違っていて、何週も同じ聖書箇所からのメッセージなんて事はよくありましたが。。。。

"しんげん
日本の社会とカトリック教会に向けて"

森一弘女子パウロ会2004年4月
 カトリック教会の現役司教によるエッセイ集。巻頭にある、年老いた教皇の姿を見てつまづいた著者と無条件に教皇を見ただけで涙ぐむ今日日の青年たちとのギャップについての話から、 社会に対する宗教者としての関心・積極性の話や、教育の話など、うなずける論調がかなりあり。 特に連載の時期が例の「9.11」から「イラク戦争」へ続く当たりと重なったため、「ブッシュと私の神理解はことなる」と断言しているし、今の米国の姿勢は「全ての人間が平等」なのではなく「全ての米国人は平等だけど、他国人は違う」という、鋭い指摘もしている。
ただいかんせんカトリック司教だもんで、やはり聖母マリアの話や、進化論肯定など、わたくしめにはどうしても受け入れられない話も当然ながら載っている。

"ブルーリボンの祈り"

*
横田早紀江他いのちのことば社2003年12月
フォレストブックス
 いまでは「拉致家族」で図らずも有名になってしまった、横田早紀江さんと彼女の聖書を読む会の仲間達による共著。こういう事件があると、世の中の人というのは全く心ない言葉を投げかけるモノなんだなぁと強く感じた1冊。 事件の経緯、そしてその事件を通して横田さんや周りの人たちに神様がなされたこと、信じるきっかけなどがわかりやすく書かれている。
文章が平易なので、1日も掛からずに読み切れます。

"刺青クリスチャン
親分はイエス様"*

ミッションバラバ講談社+α文庫2001年7月
 何も言うことがない、例のミッションバラバの方々の証集。読みやすく、しかも一つ一つが実体験であるため、もの凄く心に響いた。
文庫本は巻頭に映画「親分はイエス様」について書かれていて、ここも面白い。

"マルコ福音書説教集
跳びこめ深くはない"

渡辺純幸聖恵授産所出版部1996年12月
 タイトルを見ても分かる通り、マルコによる福音書の公開説教集であるけれど一筋縄でない説教集。タイトル同様、著者の博学ぶりを伺わせる色々な小見出し(説教タイトル)も惹かれるし、 ルーテル派の先生ならではのしっかりしたメッセージも読み応えあり。
 

"こどもの苦しみと喜び"

大塚和子著新教出版社2002年8月
 著者自身保育士であるため、子供と直に接する機会が多く、またそれでいて一人一人の子供に対する接し方も大人に対するのと同じく、 「こどもだから何か訳の分からない事をするのは当たり前」というのではなくてその行動(大人には無意味に見える)の一つ一つに意味があると、見守る暖かな目を感じることが出来る1冊。 少しく子育ての悩みの解決にもなるかも。
 

"レフトビハインド"*

ティム・ラヘイ
ジェリー・ジェンキンズ
(上野五男:訳)
いのちのことば社2002年3月
(フォレストブックス)
  流行モノには手を出さないのですが、とりあえず読んで面白かったです。どう面白かったかというと、「活劇」だから面白かったです。それと自分の知っている分野の「活劇」であるという点も面白かった理由であります。 (たとえばわが愛する「三好町」を題材にした小説があれば、「そうそう、分かる分かる!」と言ってのめり込むだろうと言う、そういう意味での面白さ)ただ、この著者があの一時代を席巻した漫画、「沈黙の艦隊」を知っているのかどうかは分かりませんが、 このルーマニアから来た大統領は、海江田四郎(「沈黙の艦隊」の主人公)の手法を明らかにまねています。「軍備永久追放」や、「常設国連軍」の設置、「世界政府の樹立」などがそれであり、また国連総会の場で、出席した国々の名を一つ一つ読み上げて、 親近感や支持をうけるところなど、全く同じであります。(名前を読み上げる順番が、海江田が日付変更線の東から始まって米国で終わり、この大統領がAから始まって米国(U)で終わらせる違いだけはあるが)
PREやPOSTの論議、「終末思想を煽るだけの便乗商法」などとの揶揄もありましたが、今までの映画、たとえば「ベンハー」から聖書論を語ったり、「ゴダールのマリア」で処女降誕の再認識などした歴史などがないのに、この小説だけ聖書的論議をして それを云々するのはどうなのだろう。確かに文中にあからさまな伝道や導きがあったりもするが、かといって「物語」としての本作には遜色無いし、それだけで「信仰書」の部類に入るとはとうてい思えない。「信仰書」としてみるべきではないと思う。
それよりも「物語」としてみた場合、前述「沈黙の艦隊」の中でベネット米国大統領が「常設国連軍の構想は私にもあった。しかし、常設国連軍とは、米国でなくてはならない!」と言ったように、米国と言う国がこのような事態の時に、 ボーッと国連本部の移設や軍備永久追放、常設国連軍にホイホイと追随するような国かい?アメリカ人のくせに本当にそんなこと思っているの?と言う点の方が気になってしまった。 (それも悪魔の力(「フォースの暗黒面」と言う言葉を思い出した)のなせる技と言うことなのだろうか?)

結論としては、全体的に流れもあり、それなりに面白くもあるが、リテールがしっかりしていないので、クリスチャンが密かな楽しみとして読むにはいいけど、ノンクリスチャンに対して「これキリスト教の本よ!」と言って勧める類の本ではなかった。

"賛美の力"

マーリン・キャロザース
(浜崎英一:訳)
生ける水の川1975年6月
 タイトルを最初見たとき、「あゝ、またゴスペル(又はワーシップ)必要が書かれた本かぁ」とため息が出たのだけれども、そうではなく、どんなことでも祈ること、現在ある状態を喜び、賛美して祈りを捧げることの大事さを現した逸品。 氏の前作「獄中からの賛美」の方が読みやすいが、「獄中」の中にあった少し自慢げなところが本書には無く、本当に目の前が暗くなった時こそ神さまを、現状を、感謝し賛美し祈りを捧げることの大切さを教えてもらった本であった。

"家庭生活の祝福"

アブラハムの家庭から学ぶ
*
正木茂一粒社
2001年11月
 ファミリーキャンプでのメッセージを起こして本にしたもの。著者のメッセージは分かり易く、ノンクリスチャンに勧めてもいいかも。
 アブラハムの家族と、自身の豊富な体験談から語られた、「キリストにある家族とはかくあるべき」というメッセージを詳しく分かり易く説いている。

"キリスト者の実際生活"

ロビンソン、ウインワード共著
(舟喜順一:訳)
いのちのことば社
1967年4月
 わたくしめがまだ生まれる前に英国で書かれた、キリスト者が世の中で実際に生活する上での問答集というかマニュアルというか、手引き書とでも言おうか。それ程古い割には、内容には古さを感じさせない。 賭事、娯楽、スポーツ、ぜいたく、単調な仕事、不正直、邪悪な思い、性、飲酒、政治、人種、戦争など、それぞれ章毎に、極論ではなく、でも厳しく書かれている。

"ひとりの小さなおともだちが"

内越言平いのちのことば社
2001年4月
 MEBIGでおなじみの同師の、教会で接する子供達に関してのエッセイ。この教会には色々問題を抱えた子供達が多いのかな、と思わせるけど、実際はそれぐらい多くの悩みを抱えた子供達はいっぱいいるのに、教会が全く面倒を見ていないと言う事実の裏返しであったり。 読めば分かることだけど、この教会は子供も大人も同じ扱いをして、同じように信じる働きかけをしている。ただ大人ほどの理解度がないかもしれないから、それはそれで合わせていく必要があるわけで、大人が信じている方法と全く同じ方法でなければ信者ではないというのはおかしいと思う。(この方針は障害者伝道にも通じるものがあると思う) だからこの教会は成功しているのだと思う。
 

"スヌーピーたちの聖書の話"

ロバート・L・ショート(笹野洋子:訳)*講談社1999年11月
 あのスヌーピーたちの可愛いタイトル絵を見て手にして思わず買ったものの、内容がついてゆけないかったという女性も結構いるのでは?
原題は「The gospel according to "Penuts"(ピーナッツによる福音書)」とあり、 日本題「スヌーピーとチャーリーブラウン」のあの有名な話に隠された福音的聖書的意義を多いに探る本。たとえば有名な犬「スヌーピー」は、怠け者、皮肉屋、臆病者、そして登場人物中最も地位が低いという点で、「キリスト教徒」の模倣である、としている。 読んでいて結構ためになった反面、訳者が難しい文学本を多く書く人らしく、難しい話をさらにわざわざ難しく書いていたので、分かりやすい話だと思う話でも結構わけが分からなかった。

"系図に輝く星"

樋口信平一粒社1994年7月刊
 ルツ記の講解説教というのはあまりないけど、時代背景も聖書的意味でもラブストーリーでもあるルツ記を正しく講解してあるおすすめ書。
 

"静思の時"

J・アンダーソン/編
(有賀寿:訳)
すぐ書房1989年3月刊
 有賀氏に関しては色々あるけれど、本書はデボーションと言う物を考えた良書だと思う。
 

"信仰と「甘え」"

<増補版>
土居健郎春秋社1992年7月刊
 カソリック信者でもあり、「「甘え」の構造」で知られる精神科医でもある著者の、キリスト教関係のエッセイというか論考というか、短編を集めた本。
 ちなみ氏の言う「甘え」理論とは、欧米は良くも悪くもキリスト教が土着していて文化の根底にキリスト教が有るが、日本の場合に文化の根底にあるのは「甘え」だという理論の事。
 

"雅歌を読む"

男と女の愛と性
榊原康夫聖山社1985年11月刊
 なんか「雅歌」って、字面からして取っつきにくい気がしてたんだけど、実は18禁の書物だったとは。そういわれてみれば確かに、と正しく雅歌を理解するための良書。 「愛」をキリストと教会の関係の事だなんて曲解しないためにも、ぜひ読むべき本。
 

"プロテスタンティズムに
なぜ聖餐は必要か"

佐藤敏夫新教出版社1996年5月刊
 聖書からのメッセージの方を重要視する、多くのプロテスタント教会に対する長年の疑問である表題に関する本。なるほど。
 

"逆転人生"

三谷康人いのちのことば社2000年8月
まさに「人生山あり谷あり」を、そのまんま体験した氏の、第一線級のビジネスマンとして、悩める一人のクリスチャンとして、夫として、生きてきた証を綴った自叙伝。 奥様の強く、たくましい信仰の姿勢も垣間見ることが出来る。
あまり難しくない平文で書かれているので、半日掛からずに読んでしまった。 あまりにも有名だけれども、わたくしめにはあまりよく分からなかった賛美グループ「ノア」の、文字通りの生みの親でもある。

"自由とは"

米国福音自由教会の歴史
カルビン・B・ハンソン
(小川国光:訳)
日本福音自由教会協議会
1993年7月
 わたくしめの属する「福音自由教会」の、「信者のみ、しかし全ての信者」という言葉に表される「自由」と言う面を、源流であるスカンジナビアの自由教会から、現在の米国福音自由教会までの流れで解説。 (初代教会や宗教改革の話もちょっと)
 日本の福音自由教会の創立期に宣教師としてこられ、現在は米国の福音自由教会で教鞭を執られている著者による。